妄想と現実のあいだ

とりとめもない言葉と写真、ときどき絵

予兆に対して

数年前、私が深夜のファーストフード店でポテトを食べながら小説執筆の作業をしていたときのことです。

挙動不審な男性が店内で飲食している人たちのテーブルを巡回し「ポテト1本ちょうだい」と要求してまわっていました。そして、わたしのところにその男が来たとき

私は彼と話をしてみたいと思い、ポテトを全部あげるから私と話をしようと彼に返答しました。

彼は詩をしたためている創作ノートを見せてくれました。
そして、精神病院に何度か通院していたが通院を中断してしまったことを語ってくれました。
また、今は希死念慮があり、自宅には帰りたくないと不器用な笑顔から話すのです。

私はとりあえず再び通院することを勧めたました。
「行きたいけど行けない」
彼は言います。
私にできることはないかと訪ねてみました。
「警察に連れてって欲しい」
私は彼と最寄りの交番へと行ってみました。
警察の対応は渋いものです。
当然と言えば当然かもしれません。
そんな警官を前に彼の言動は「大丈夫」と一転しました。
時刻は午前3時頃、彼が通院していた病院は入院病棟があり深夜でも一応相談できると思い、彼の承諾を得て病院に電話し相談してみました。
得られた返答は、親族でもない私が電話したところで彼が何かしでかしたわけでなければ対応は難しいというものです。
私は時刻的にも体力的にも限界で彼に明日にでも病院へ行くよう一応すすめて別れました。
その後、彼がどうなったかはわかりません。

本人がある程度落ち着いて話すことができ、加害、自傷・自殺行動の予兆のようなものがある段階で積極的に介入することは難しいことです。
病院へ行きたくない気持ちと、逼迫した精神をどうにかしたいという気持ちに対して少し踏み込んで何かできないものでしょうか?
私が思うに、彼が何かことを起こすことを「待つ」しか公的な介入は難しいように感じます。
彼がことを起こさずなんとかやっていけるかは、社会の持つ心理的安全性にかかっているのかなあなどと漠然と思い浮かんだ。